宮田和弥 5th Album『The 21』official interview

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宮田和弥、5作目のソロ・アルバム『The 21』と、ここに至るまでと、現在を語る

 身の56回目の誕生日である2022年2月1日(火)に、5作目のソロ・アルバム『The 21』の全13曲を曲順通りに披露するライブを生配信ありで行い、アルバム発売日の2月12日(土)の新代田FEVERを皮切りに、弾き語りで14本、その後バンド編成で4本の、リリース・ツアーを回る宮田和弥。

『The 21』を完成させるまでの歩みや、現在考えていることや、感じていることを、自分の音楽を聴いてくれる人、ライブに足を運んでくれる人に、ちゃんと伝えておきたい──という本人の意志で、インタビューを行って会場でフリーペーパーとしてライブ会場で配布し、オフィシャルサイトにもアップする、ということになった。というわけで、忌憚なく語ってもらい、形にしたのが以下のテキストである。宮田和弥が、この長いキャリアにおいてもおそらく初めて、今がベスト、と言っていいくらいの、良いコンディションであることが、読んでいただければわかると思う。

 

全部自分でやるしかなかった

まずスタジオから作ったんです

 

──ジュンスカ解散後にソロになった時と、再結成後の2010年にソロアルバム『宮田和弥』を出した頃と、今のソロ活動では、気持ち等は違うものですか?

宮田和弥(以下宮田):いや、今回は、非常に自分が、この歳にしてよくできたな、っていうか。今までは人の力を借りて、たとえば歌詞は1曲、人に頼んだりとか、作曲も何曲かは人に頼んで、歌詞だけ書いたりしてたけれども、今回は作詞も作曲も全部自分だし。コロナで本当にたっぷり時間があったので、その中で自分と向き合って、歌詞も曲も書き下ろして。今までのソロの中で一番の自信作ができたと言っていいくらい、うれしいというか。感謝ですね、このアルバムができたことに。

──ここまでじっくり時間をかけて曲を書いたことは、初めてですよね。

宮田:初めて。このアルバムが、ソロの5枚目になるのか……1枚目、ジュンスカが解散してからすぐ出した『smash』っていうアルバム(1998年)は、本当に自分のやりたいように作ったんですね。だけど、2枚目の『HERE』(2000年)は、ディレクターとかプロデューサーの声もきいて、人の意見をたくさん取り入れて作ったアルバムで。今思うと、ちょっとブレたというか。で、サードは、ジュンスカが再結成した後に作った『宮田和弥』(2010年)。自分の名前を付けたぐらいですから、これはもう原点に返って、非常に自分と向き合った……僕の中では、これがファースト・アルバムと言ってもいいぐらいの自信作なんですよね。

──この時は、ジュンスカがあってもソロはソロでやる、という感じだったんですか?

宮田:いや、ジュンスカの再結成より後だけど、2009年から2010年にかけては、ジェット機はもう解散していたし、ジュンスカも一回終わって、何もない1年があったんですよ。

──その時は、ジュンスカは継続的にやるつもりではなかった?

宮田:そう。ちょうどオリンピックの年だったので、「4年に一回やろう」みたいなことを言ってたんですけど。で、バンドがどちらも止まった1年、時間が空いて。僕も、燃え尽き症候群じゃないけど、ちょっと鬱っぽくなって。まったく家からも出ない、みたいな感じになっている中で、曲を書き貯めていって、できたのが、この『宮田和弥』なんです。

その後、2011年の震災の後、みんなで集まって、ジュンスカで、東北に何かできることはないか、ということで、「じゃあ東北ツアーをやろう」と。で、ツアーをやったら、ジュンスカ世代の人たちがすごく喜んでくれて。それで、「これはもう4年に一度とかじゃなくて、ジュンスカはジュンスカでやっていこう」と。それが完全復活と言われた時で、2012年には録り直しのベスト盤とオリジナル・アルバムを出して、それ以降もバンドは続いていくんですけど。

その次の宮田和弥のソロ・アルバム、『Naughty』は(2014年)、また人の意見をききすぎて、ちょっと僕の中では、失敗というか。さっき言ったように、作詞作曲も……自分で書いてる曲もありますけど、リード曲なんかは、作詞も作曲も人にお願いしたりして。

そこから8年が過ぎての、今回の新しいアルバムなんですけど。これに関しては、コロナの2年の間に、ほんとに人と誰にも会わず、外も出れず。家で自分と向き合うとか、映画等のいろんな作品を観るとか。そういう中で、すごく曲ができたんですよね。詞も書けた。じゃあアルバムを出そう、っていうので、スタッフに相談して、「これは『宮田和弥Ⅱ』だ」と。そのタイトルで出してもいいな、なんて言ってたんですけど、最終的には『The 21』にした。僕の誕生日が2月1日だということと、21世紀でもあるし、2021年に作ったアルバムでもあるし、ジュンスカのメジャーデビューも5月21日だし、21という数字にすごく縁があるんですよね。

──人の意見をききすぎた、とおっしゃったアルバムが二作ありましたけど、和弥さんはそもそも、自分がすべて詞曲を書く、自分が牛耳るというバンドは、やってこなかったですよね。ジュンスカは先に森純太がいたから当然そうだし、ジェット機を作った時も、自分以外にも曲を書けるメンバー、プロデュースをできるメンバーと組んだし。

宮田:うん。

──だから、もともとが、人と一緒に作るのが好き、というところもあるのかなと。

宮田:ありますよね。昔はソロなんてまったく考えられなかったし、今回のこのソロも、akkinという懐刀がいて、共同プロデュースをしてくれている、というのもあるし。確かに、誰かと一緒にやれる楽しさはある。でも、レコード会社のスタッフとかと、一緒にいると……レコード会社のせいにするのは違うんだけど、やっぱり売れなきゃいけないとか、そういうことで、自分の弱い心がブレてですね。そこが自分の悪いクセで、いつも反省するんですけど。ただ、そういうのをまったくとっぱらって作れたのが、今回だったんですよ。そのひとつの要因としては、コロナによって、人と会わなかったというのが、良かったのかな、と。ほんとに自分と向き合ったし、自分でやるしかなかったし。もっと言えば、スタジオから作ったんですよ。

──えっ?

宮田:子供が家を出たので、コロナ中にその部屋を改装して。誰かとスタジオに入って、というのができない、人と会えない状況だったので。もう全部自分でやるしかないな、と。

──自分で改装したんですか?

宮田:そうです、DIYで。防音材とか買って、壁や床に貼ったりして。そういうふうに、生活からシフトしていったのが、でかいというか。ボーカル録りも家だし、アコギも家だし。だから、僕は人と交わるのが好きだけど、人と交わるとブレていくところがあって(笑)。今回はそれができなかったのが、功を奏した。コロナで人とできないから自分でやる、自分でやったらいい作品ができた、みたいな。

 

このアルバムには、春夏秋冬全部の歌がある

 

──でも、人と一緒にやるのが好きな人が、まったくひとりになると、煮詰まりません?

宮田:煮詰まりますね。でもね、歳のせいで図々しくなってきたのか、昔ほどは煮詰まらなくなった。昔はやっぱり、自分を誰かと比較して、誰かが売れたとか、そういうことに対して、悩んだりブレたりしていたんだけど。この2月1日で、56になったじゃないですか? コロナの時は54から55か。そこで図々しくなったというか、ボケてきたというか。煮詰まる脳味噌がなくなってきたというか。

──(笑)。

宮田:そんな感じがしますね。だから煮詰まらなくて、むしろ曲もすごくできたし。今、曲とか歌詞が、朝、できるんですよ。昔は夜中まで書いて、煮詰まって、朝の5時にやっとできる、みたいな感じだったけど。このアルバムを作った時は、24時前には寝ちゃうし、朝6時とかに起きて、犬の散歩に行く前に曲ができて、それをメモって、みたいな。

──ベテランのミュージシャンに話を訊いていて多いのが、曲を書くのはまだなんとかなるんだけど、歌詞は、書くことがねえ、と。

宮田:ですよね。

──という感じが全然ないんですよね、このアルバム。

宮田:そうですね。それはね、日常に目を向けたんですよ、このアルバムは。たとえば、春夏秋冬全部の歌が全部あるんですね。

──ああ、本当ですね。

宮田:「ハナヒラ」は桜だから春だし、「百日紅」の花が咲くのは夏ですから。秋は「今より今を」、冬は「まなざし」というクリスマス・ソング。「百日紅」なんて、家の裏庭に咲いてる木だったりして、日常の、生活の中から歌が出てきたというか。それまでは確かに、書くことがなくなっていて。さっき言ったように、ひとつ前の『Naughty』は、まったく歌詞が書けなくなっていたから、人に頼んだし。

 ジュンスカもそうで、再結成後の『LOST AND FOUND』(2012年)と『FLAGSHIP』(2013年)は、書くことがないという以前に、書いてなかった。書いてなかったから、書くことが貯まってたかもしれないですね。そして、日常のルーティーンの中で、言葉が出てきた。

──でも、日常から出て来た曲というと、 落ち着いた、淡々としたものになっていそうな感じですけど、聴くと、ある意味初期と変わってないというか。どの曲もメッセージになっている。

宮田:うん。昔から言ってるけど……僕は前向きな歌詞を書いて来ている、でも本当はとても暗いし、友達もあまりいないし、後ろ向きな、非常にいじけた考えをする人間なんですよ。「夢に向かって」とか言えるのは、そういう人間じゃないから、そうなりたくて書いているんですよね。いまだにそうだけど、いつもすごく悩んだり、いじけたりする、そこから抜け出したくて、「希望」とか「夢」とか「歩いていこう」とか言うんですよ。だからまあ、変わってないんですね。

 

やっと今、自由になれている。ロックンロール人生で、今が一番いいな、と思っている

 

──このアルバムのリリース・ツアーも、弾き語りで回ってから、最後にバンドですが。

宮田:はい。何しろ、弾き語りで全国を回っていると……弾き語りの時は、僕はスタッフを一切連れて行かないので。ギターを背負って、荷物をガラガラ引いて。物販は2セット用意して、一個飛ばしで次の会場に送っていくんですよ。

──ああ、そういう方法で。

宮田:で、それを売るバイトは現地調達で、店に頼んで、バイト代は取っ払いで(笑)。弾き語りのツアーを始めてから、そういうふうに、全部自分でやるようになって。物販のデザインとかを誰かに頼むのも自分だし、ツアーを切るのも自分だし、会場に電話して。始めた頃は、電話で「JUN SKY WALKER(S)の宮田和弥ですけど」って言うと、「嘘ですよね」って切られたりして(笑)。だけど、そういうのが僕は……ジュンスカで、22歳とかでデビューして、いきなり売れちゃったから、そういうことを全部、人にやってもらって来たんですよ。しかもアイドルっぽいというか、どっちかというとキャーキャー言われるような感じの。バンドブームだったし。だから、そういう経験が欠けていたし、いろんなスタッフへの感謝とかも、欠けていたというか、わからなかった。半年前までビデオ屋でバイトしてたのが、いきなり売れちゃったんで。

──バンドブームの頃ってそうでしたよね。自分たちでツアーを組んだりするようになる前にデビュー、というケースが多かったし。

宮田:うん。だけどその後、いろいろあって。ジェット機もやって、ジュンスカ再結成もあって、ソロもやって、ひとりで弾き語りを始めて15年ぐらい経って……やっと今、自由になれているというか。ロックンロール人生で、今が一番いいな、と思っている。ただ、人生ここからというか、ミック・ジャガーの年齢までがんばろうと思ったら、まだけっこうあるじゃないですか?

──そうですね。78歳だからあと20年以上。

宮田:だから、まだ修行は続くな、と思ってるんですけどね。今僕は、ブレイクしたいとか、売れたいっていうのは、そんなになくて。もちろんたくさんの人には聴いてもらいたいですよ? だけど、好きで聴いてくれる人に、ちゃんと音楽を届けられて、それでメシは食えてるから。だから、音楽で生きていく一番いいやり方を、やっと見つけたというか。やっと職人になれたな、って感じがするんですよね、今ね。これをやったら負けない、みたいな。同世代のがんばってるアーティストを見ると、勝てないんだけど、負ける気はしないんですよね。そういう気持ちになれた自分が、うれしいというか。

 

僕の中で、前に進むっていう選択しかないんだと思う

 

──自分の日常に根ざしたアルバムでありつつ、闘う姿勢、立ち向かう姿勢が表れている、それが変わらないのはなぜだと思います?

宮田:そんな曲ありましたっけ?

──あると思います。たとえば「ジブンノウタ」の「やらなければ良かったより やればよかったのほうが悲しいから」とか。「Sugar cube」にも「Feel alive」にもそういう強いラインがあるし、「ハナヒラ」にもあるし。

宮田:ああ、なるほどね。

──「愉しく正しく」にもあるし、「now on never」にも──。

宮田:「だから行こう この闇の向こうに」。ああ、そういうことね。僕の中では、そこまで立ち向かう姿勢とは思ってないんだけど……たぶん僕の中で、前に進むっていう選択しかないんだと思うんですよね。過去は変えられない、未来は変えることができる、って言うじゃないですか。今を変えれば、未来を変えることができる、でも過去は変えられない。でも僕が思うのは、未来が変われば、過去も変えることができるんじゃないかな、っていう。つまり、たとえばJUN SKY WALKER(S)というバンドが……これは言い方がよくないかもしれないけど、ちょっとダサい、という見られ方もしているとする。だけど、今がチャラければダサいままだけど……ここからのジュンスカもそうだし、ソロもそうだけど、今を変えていくことで、いい未来にできれば、過去のジュンスカも、「あれがあったからこそ今がある」というふうに、より輝きを与えることができるんじゃないかな、過去を変えることができるんじゃないかな、という。

だから、僕の、立ち向かう姿勢が変わらないんだとしたら、前に進む、前を変えることによって後ろを変えよう、という選択を、ずっとし続けているんだと思うんです。時として、ブレたりして失敗もあるけれども、それもふまえた上で、「ここからは大丈夫だ」と、自信を持って言いたい。それはJUN SKY WALKER(S)でも同じで、次のアルバムができた時に、ジュンスカのこれまでの過去を「あれで良かったんだ」って聴いた人が思う。そういうものを作りたいし、そういうライブをやりたいと思っていますね。

インタビュー=兵庫慎司